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書籍レビュー:翻訳地獄へようこそ

『翻訳地獄へようこそ』は、博識で名高い宮脇孝雄氏が、翻訳家・翻訳家志望者・英語学習者・海外文学愛読者に向けて、「翻訳とは何か」を余すところなく語り尽した随筆集です。

言語をつかさどる翻訳者としての苦悩と喜び。ページをめくるたびに、著者のあふれるばかりの教養とほとばしるような情熱が伝わってきます。

そもそも、言語はその国の民族が長い時間をかけて育んできたものであり、文化や歴史の究極の結晶体、すなわち、その民族のアイデンティティーそのものです。

ひとたび他の言語に変換しようとすると、該当する単語が見当たらなかったり、その言葉の概念自体が存在しなかったりするので、原作を損なわずに言語の隙間を限りなく埋めようとする「翻訳」という試みは、まさに気の遠くなるような作業の連続であると言えるでしょう。

幕末から明治時代にかけて、偉大な先人たちの手によって、西洋の文学・哲学書・法律書・科学技術書などの書籍が次々に日本語に翻訳され、アジア各国の学生たちが大勢日本に学びに来ていました。

なぜなら、日本語を習得しさえすれば、もともと英語・フランス語・ドイツ語などで書かれていた書籍を一度に読むことができ、最先端の知識を効率的に身につけることができたからです。

そして、この過程で日本人が生み出した多くの和製漢語は、留学生たちによって大陸に持ち帰られて、そのまま中国語の中に浸透したので、現代中国語における人文科学・社会科学用語の約7割は日本語です。

「政治」「市場」「経済」「科学」「義務」[哲学]「憲法」「議会」「自由」「共和国」「民主主義」「人民」「銀行」「電話」「電車」「国際」「芸術」「宗教」などがその一例ですが、このことからも分かるように、翻訳とは単なる言葉の置換ではなく、新しい言葉や文化を生み出す創造のプロセスでもあるのです。

本書の特に優れている点は、各章の中で細分化されたタイトル一覧が示しているように、翻訳において留意すべきことや犯しがちなミスについて、すべて具体的な実例を挙げて詳細に解説されている点です。

著者の経験と知識によって裏付けされた数々の翻訳テクニックは、いずれも目からうろこが落ちるような技法ばかりであり、「辞書は引くものではなく読みこむものである」「英和辞典で訳語選定に迷ったら英英辞典を読む」「打ち方で意味が変わる句読点には用心する」など、通常の英語学習にも極めて有益なアドバイスがたくさん詰まっています。

また、欧米と比較すると、日本では翻訳者の名前が原作者と並んで大きく書かれることについて、著者が「これだけ苦労をしているのだから、そのくらいはいいじゃないか」と述べているのが大変印象的で、日本語と英語という、言葉の構造も文化もまったく異なる2つの言語のはざまで毎日格闘している著者の本音が聞こえてくるようです。

【1章】翻訳基礎トレーニング:
注意深く読み適切な訳語を見つけだそう

多くの誤訳は名詞の意味の取り違えから生まれる
翻訳者にとって辞書は引くものではなく読みこむものである
慣用句は時に破壊力のある地雷となる
「秋の男」はカモかスケープゴートか
“ダーリン”などの愛情表現用語を訳文にどう生かすか?
謎のカタカナ言葉が多い翻訳には誤訳の香りがする
修飾する相手によって英語の形容詞は意味が変化する!
打ち方で意味ががらりと変わる句読点にご用心
翻訳の二つのやり方「英文解釈」方式と「流れにまかせる」方式
慣用句の定番訳にとらわれて文意を読みそこなうな
英和辞典で訳語選定に迷ったら英英辞典を読もう
似かよった意味を持つ単語の使い分けに注意
米国の名校閲者にならいハイフンにこだわって訳してみると

【2章】翻訳フィールドワーク:
背景となる文化や歴史や地形を徹底調査せよ!

ジャンパーはイギリスではセーターのことなり!
ケンジントンのオランダ屋敷が翻訳小説に登場する謎
ドアの開け方はミステリ翻訳の重要なポイントとなる
小説で知ったイギリスにおけるcityの意味
悩ましい英語と悩ましい日本語そして悩ましい翻訳
アベラールの削除問題について調べて翻訳に生かす
ナースとは何者?意味が変化してきた名詞に注意せよ
翻訳で失われるものは意味だけではない
たとえ理解されずとも古典の引用やもじりを訳文で表現したい
グレアム・グリーンが嫌がらせに贈ったプレゼントの中味
英国中流階級が舞台のナンセンスな味わいの童話を訳すには
言葉の語感の変化を敏感に感じ取って訳語を選ぼう
英語翻訳家の鉄則:謎の人物が出て来たらディケンズを当たれ!
本を勧めたら友人から苦情の手紙が届いた

【3章】翻訳実践ゼミナール:
「表現」の翻訳を目指し試行錯誤の日々を送ろう

007原作者フレミングの小説は翻訳修行に向いている
英語の小説に登場する日本人の京都弁をどう訳すか
なぜカウボーイは独立分詞構文で描かれたのか?
安房直子作品の英訳本を使って学ぶ童話の翻訳術
小説のだいご味である比喩表現で翻訳者の腕も試される
ダイアローグ・タグを訳さないのも訳すのも翻訳の技法
小説の視点人物を見つけて「翻訳弁」を減らそう
小説とノンフィクションの翻訳作法の違いは何か?
語順に従って訳す手法が最近の翻訳の原則
エリザベス・テイラーの小説で英国中流階級の生活感覚を養おう
フロイトの孫が書いたイギリス流ウィットに富む児童小説
英語の文法書が教える「情報伝達」の観点に立って翻訳すると
翻訳家志望者よミステリの翻訳を甘く見ることなかれ

もちろん、原作を原語で読むことに勝るものはありません。

しかし、原語と翻訳の両方を丹念に読み比べることによって、新しい発見があったり理解が深まったりするのも事実です。

本書を手にした読者は、著者の博学多才ぶりに舌を巻くことでしょう。

そして、英語学習へのモチベーションが高まるだけでなく、洋書や翻訳本を今すぐに読みたいという欲求に駆られるに違いありません。








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